私は、久子という素晴らしい母の6人兄妹の一番末っ子でした。
母は、全くの日本人でしたが、戦争の時、中国で、かなり苦労したそうです。
祖国の日本という国に帰りたようでしたが、癌になってしまいました。
余命も後、半年しかないと言われ、中国の周恩来に生命をかけて、心を打つような手紙で、
日本という自分の祖国で死にたい。という強い希望がありました。
例のない賃もつ船で、日本へ3日もかけてつきました。
母は、子供の夢と希望を与え、日本という自由の国で、日本で生きていくことを、
何よりも嬉しかったそうです。
そして、自分の母や兄妹に会えたことも、嬉し涙も、今にも子供の私の残っています。
一日も長く生きて欲しかった母。
言葉少ない母でしたが、優しくて、いつも笑顔であいさつをしてくれました。
誰にでも愛されて、子供達が大好きな母は、49歳で、この世を去っていきました。
愛する母のために、子供達で一生懸命生きてきました。
今日という日は、Charlieが日本へ発つ日でした。
日本で仕事をする決心し、これからは、Charlieが大好きな国。日本で少しでも人の役に立てれば嬉しいです。
日本から、yoshidaさんとmayumi-chanが来てくれて、パパとstephanieのことで、日本に居られなくなって、ママのことを
とても心配して、わざわざハワイまで来てくれました。パパとstephanieのために、家にお花を買って、3人はmakaapuという現場まで行って、海の厳しさを見て、静かで、2人だけの世界で消えた悲しさの言葉が見つかりません。
そして、stephanieの学校にも、素敵な花を持っていってくれました。
stephanieの墓まで、足をのばして、全ての場所へお花を供えてくださいました。
本当にパパもstephanieも喜んでいるに違いありません。
ありがとう!
ありがとう!
※yoshidaさんは、ママとstephanieがいつも一緒にいることしか考えられないと、話してくれました。